最初に僕の簡単なプロフィールです。
簡単なプロフィール
- 介護歴15年
- 在宅ケアマネージャー
- 特別養護老人ホームでユニットリーダー経験
- 福島県へ3・11後の介護応援派遣で1ヶ月滞在
高校卒業後、サッカーの専門学校へ行き本気でプロを目指しましたが、プロとの圧倒的な差を見せつけられました。
スポーツに関わる仕事に就きたいと思い、スポーツアパレルへ就職。
スポーツウェアをおしゃれに着こなすアドバイスをしました。
あまり稼ぎが良くなかったので、転職を検討。
高齢者が増えるとニュースを見たとき、大家族で育った僕にはこれだ!
と、直感し介護の世界に飛び込みました。
特別養護老人ホーム、在宅ヘルパーを経て、在宅のケアマネージャーになりました。
経歴まとめ
- 小学校から20歳までずっとサッカー
- スポーツショップアパレル店員を2年
- 特別養護老人ホームで介護士を7年
- 在宅ヘルパーを半年
- 在宅ケアマネージャー7年
介護の仕事は楽しくて、特養(特別養護老人ホーム)で働いているときは積極的でした。
介護技術はいろいろな先輩に教わり、基本があっても利用者一人一人に応用が必要。
医療知識は看護師に教わりました。
特養の医療サポートは病棟に比べるとゆっくりなので、丁寧に教わることができたのはメリットかもしれません。
特養にはかかりつけ医もいて、これがまた優しい♪
先生にもいろいろ教わったのですが、とても上手な例えで教えてくれたことがありました。
「道路の広いところでは渋滞は起きにくいんだよ」
脚のむくみはなぜ太ももにできないのか?
この疑問に渋滞を例えにして教えてくれたおかげで、医療の学びを楽しくやるきっかけにもなってます。
介護技術、介護知識、医療知識を楽しく学ばせてもらい、研修にもたくさん行かせてもらえたおかげでステータスとなる資格も取得できました。
保有資格
- 居宅介護支援専門員(ケアマネージャー)
- 介護福祉士
- 福祉住環境コーディネーター2級
- ユニットリーダー研修
ユニットリーダー研修とは、施設のケア方法にユニットケアというものがあります。
ユニットケアをする上での研修を修了した証明です。
ー目次ー
主な実績
無資格で介護業界へ飛び込む
特別養護老人ホームでは市で一番最初に創設された施設で働き始めました。
無資格です。
恐る恐る、仕事を始めたわけではありませんでした。
大家族で育ったこともあり、お年寄りは可愛く見えています(笑)
尿臭、便臭、なんともわからない臭いがありましたがやっていくうちに慣れました。
認知症の方とのやりとりも話が噛み合わないのがコントをしているようで楽しかったです(笑)
利用者の担当を持つようにもなりその人をより深掘りすることで、介護技術・知識、医療知識をさらに深めたいと思う機会にもなりましたね。
介護職を初めて5年、介護福祉士国家試験に一発合格!
勤務へ積極的な姿勢が認められたのか、ケアプラン作成のサポートにも携わるようになりここで初めて介護保険制度を意識しました。
めちゃくちゃ複雑で学びはまだまだと痛感したのと同時に、今までの学びは箱の中だけのことなのかもしれない。
介護についてもっと楽しい学びがあるかもしれない。そう感じました。
孤島から海の向こう側に行ってみたい!
こんな好奇心ですかね(笑)
ユニットリーダーも務めさせてもらい、業務改善、イベント企画、新人介護職員の指導、上部との意見交換など
組織全体に関わる仕事もやらせてもらい、施設運営がどれだけ大変か身を持って経験できたのは20代半ばの僕にはとても貴重でした。
介護保険制度の勉強をしていると在宅介護について興味が湧きました。
海の向こう側ですね(笑)
在宅介護についてはケアマネージャーの資格があることでさらに深めることができるとわかり、勉強開始!
子供が生まれる年に試験がありましたが、これまた一発合格!
施設長と話し合い円満退職、在宅ケアマネージャーで働き始めることになりました。
特養の経歴まとめ
- 無資格で介護職を始める
- 担当利用者を受け持つ
- 介護福祉士国家試験一発合格!
- ケアプラン作成サポート
- 居宅介護支援専門員試験一発合格!(ケアマネージャー)
3・11 応援
3・11 応援
2011年3月11日 東日本大地震災。歴史に残る大災害となりました。
あれから10年が経過しますが、被害に遭われた方達の気持ちを考えると心が痛みます。
2011年3月11日から1年ほど経ったとき、施設長から施設職員へ被災地へ応援職員を派遣したい旨のお知らせがありました。
僕は迷いなく手を上げさせていただきました。
現地の様子をテレビで見て直接何かしたいとは感じつつも行動に起こせない。
もどかしいさがずっとありました。嘆願書を書いてでも行きたい気持ちでした。
気持ちが通じたのか福島県へ応援職員として1ヶ月だけでしたが老人保健施設で尽力させてもらいました。
津波の被害を受けた写真やエピソード見聞きしました。
応援中も地震が発生し建物が揺れた時の現地の方の怯えた様子は想像できないくらいの怖さだったということを感じました。
在宅ヘルパーが背中を後押し
特養介護はその人だけを見る介護でした。
病気、症状から性格、生活歴をみて1日、1週間、1ヶ月をその人にあった計画(スケジュール)を立てます。
在宅介護は利用者さん本人だけを見るのではなく、家庭、金銭、住宅、地域など、さまざまな問題、課題を抱えている方が多く
それらを考慮して介護に当たる必要があります。
(笑)具体的にはこんな感じです。
ゴミ屋敷やお金がないけど助けなくちゃいけない、1日一回以上電話をかけてくる
相手の家の中で利用者から暴言、暴力。
普通の人なら嫌になる問題、課題ですよね。
ただ、僕の場合変わっていて、この人の問題、課題をクリアできたらすごい達成感がありそう✨
こんなふうに感じてしまったんです(笑)
そこから在宅介護への興味がさらに大きくなりました。
無事にケアマネージャーの資格も取ることができ、在宅のケアマネージャーをするための背中を押してもらった感じです(笑)
在宅ケアマネージャーはおもしろい!
今現在の仕事がケアマネージャーです。
今日まで7年弱、200人以上の利用者さんに関わってきました。
在宅ヘルパーをしていた経験があったので、在宅介護の状況に驚くことはありませんでした。
ケアマネージャーはその状況を改善する指揮を取ります。
ケアマネージャーを教えてくれた方がケアマネージャーをこんなふうに例えてくれました。
「ケアマネージャーは音楽でいうと〝指揮者〟家族を含めた介護チームがいい音色で音を出して最高の音楽(利用者の介護)ができるようにすることが役割」
この例えすごく好きでチームが上手く機能するように連携を図っています。
いい心構えにもなっています。
参考
- 在宅介護を必要とする方、200人近く相談、対応してきました。
- 事業対象者、要支援1、2・要介護1〜5の方すべてに関わったことがあります。
- 脳梗塞、脊柱管狭窄症、がん末期、肺疾患、寝たきりなど、さまざまなご病気、症状の方を見てきました。
- 困難事例という、普通の家庭ではない大変な方達のサポートもしてきました。
- 自宅でお見取り、訪問したら亡くなっていた、警察介入、身内のトラブルの仲介、カッターを突きつけられる、ゴミ屋敷
- 地域包括支援センター、市区町村、銀行、コンビニ、警察、救急車、ご近所さん、ボランティア、民生員、地域資源を活用してサポート
ケアマネージャーの業務自体は一人でしますが、利用者さんをサポートするにはたくさんの協力が必要です。
サポートする方達をまとめて指揮して、利用者さんを支える。
上手く行っているとき、上手く行った時の達成感はサッカー試合で勝ったときと似ています。
一人じゃ達成できない。
みんなで関わるから達成できる。
そんなケアマネージャーの仕事はとても楽しいです。
ブログを始めたきっかけ・理由
育児、教育、お金の使い方には人それぞれ考え方がありますが、介護についてもいろいろな考え方があることに特養で介護士をしている時から感じていいました。
介護士で介護しているの介護の価値観は施設の理念、上司・先輩介護士、看護師、などの価値観について考えさせられていました。
ケアマネージャーで100件以上の方達に関わると、大きくは似ていても、その人、夫婦の、親子の、兄弟の、家族の独特の価値観があると体験しています。
その中でも僕なりの介護のあり方を発信したいと思ったのがきっかけです。
介護保険制度・サービスについての発信が今は主になっていますが、介護論、介護観、人生論についても考えを発信していきたいと思います。
最後にブログを通して
皆さんはご自分の人生が最後、どんな絵で締めくくられていますか?
あなたの人生最後の絵はどんな完成図ですか?
冒頭でもご覧いただいたイラストです。
僕はブログを通して、ケアマネージャーという職を通して
まだ人生の40年も生きていない未熟者ですが
介護を受ける本人が満足して最後を迎えられるように
それをサポートするパートナー、家族が介護で燃焼できるように
介護保険制度・サービスについての情報
僕なりの介護論、介護観、人生論を発信することで
満足のいく最期が迎えられたら嬉しいです😁